文書かぬ文ならば

こんにちは、こんばんは。
コンシェルジュの寺田真理です。

今日は、終戦記念日ですね。
寺田の祖母の話をしたいと思います。
祖母が夏休みの時に、奈良の実家に
泊まりにきた時の話です。
(祖母は大阪の人です)

祖母は、女学生の頃に戦争を体験しています。
学校の校庭にかぼちゃを育てていたとか、
こんにゃく芋を糊にして、
風船爆弾を作っていたとか
そう言う話を時々聞いていました。

ある夏休みの昼下がり、
中学一年生の頃に、
祖母が話してくれたことが、
今でも鮮明に覚えています。

出兵された、怪我をして戻ってこられた方に、
励ましのお手紙を書きましょう。
と言うのが当時あったそうです。

学校の先生に言われて、
祖母も手紙を書いたそうです。
何回かやり取りをする中で、
その方が祖母に会いたい。と言うことで、
会う約束をしたそうです。

今のように携帯もネットもありません。
わかるのは、文通の時に入れた一枚の写真のみ。
でも無事に出会えたそうです。

会えた時にその方は、
「仲間に『会えないと困るから、
自分の名前を書いた旗を持って、
待ち合わせ場所で待つと良い』」
と言われたんですよ笑」
と初対面から
とても打ち解けられたそうです。

戦況が厳しくなる中でも、
その方とは何回か会い、
相手の方から結婚のお話も出たそうです。
でも、その方のお家は
とても裕福なお家だったそうで、
一般家庭の自分とは釣り合わない。
と祖母は、一切手紙のやり取りも
しなくなったそうです。


↑羽のような雲がたくさん出ていました

あるとき、その方から手紙が届きました。
「文書かぬ 文ならば 文てふ名こそ すてまほしけれ」

祖母の名前は、文子だったので、
そのように書かれたのでしょう。
祖母もこれには、返歌で返したそうです。
(なんて返したかは、照れて教えてもらえませんでした)

しばらく、文通を続けていたそうですが、
その頃、祖母は父親が決めた方と
結婚をすることになりました。
結婚のことを伝えると、

その方は、とてもとても悲しい。
あなたの幸せをお祈り申し上げます。
と言う文を送られて、
それ以降手紙のやり取りは
なかったそうです。

寺田の母も誰も知らない、
聞いたことがなかった。
と言っていたので、
祖母は生涯でただ一度だけ、
そのことを話してくれたのでしょう。
それ以降、祖母はその話をしませんでしたし、
私も触れませんでした。


↑鎌倉pompomcakesさんのお店

聞いた時、万感の思いがしました。

今、自分がこの世に存在していることに
ただ、ただ、感謝をして、

調和のある世界で在りますように。

どんな時も、
今自分ができることを
精一杯できる自分で在りますように

それでは、みなさま
良い一日をお過ごしくださいませ。

 

 

 

 

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